ドラえもん
















これは前々から(藤子先生が無くなられてから)思っていたのですが、ドラえもんの劇場版のスケールが小さくなったような気がするんです。時間が短くなった訳でもないですし、映像の技術や編集技術は年々進化しているのも関わらず、何かスケールが小さくなったような気がする・・。

最新作である「のび太と緑の巨人伝」は環境問題ウンヌンが随所に取り入れられたり、CG技術を使った映像が盛り込まれていたり、普通に考えれば壮大なスケールの作品であるはずです。各地のブログで(芸能人を声優に使いすぎだ!)と言う指摘もありますけど、それは一旦置いといて・・。(笑)

(予告編を観ても分かるように・・。)

     

でも、何か昔の映画にあったようなスケールが感じられないと言うか・・?
(勿論、面白いは面白いんですよ。)

ドラえもん作品の中には教科書的な内容を含んだ内容(人を傷つけちゃダメとか、環境を大切にしょうとか。)も多くて、最新作である「緑の巨人伝」の中にも環境問題が取り入れてあったりんですけど、何か無理やり入れたような印象で(ふ〜ん)といった具合に、あまり心に響いてこない(感じる何かが少ない?)。

話が広くなっちゃうんですけど、最近の映像作品(バラエティ、ドラマ、アニメも含め)って、何か作品から感じるモノが希薄になっているような気がするんですよね。昔の作品は映像は綺麗じゃないし、CG技術も発達していなかったけど、作品から感じるモノは多かったような気がする。観終わった後に(そっか・・。)みたいな余韻が残ったような気がするんです。

まぁ、ドラえもん映画を観ていて(何か、壮大じゃないような?)と思う人以外には伝わり難い話だと思うんですけど、個人的に壮大じゃなくなった理由を考えてみましたので、気になった方はご覧ください。

ドラえもん映画は30周年近いですけど、それでも古臭く感じない藤子先生(藤子トラベル)の冒険ツアーの手法についても、色々と考えて見たいと思います。

壮大じゃなくなった理由 .張◆璽イドが居なくなった?


藤子先生が原作じゃないドラえもん映画の1作目である「南海大冒険」辺りから思っていたんですけど、映画の中でのび太達を先導する存在であるツアーガイド役(=ドラえもん)の存在が希薄?になっているような気がするんです。

ドラえもんの映画の定番パターンとして・・(↓)

のび太が何かに悩む
     ↓
ドラえもんが道具を出す。
     ↓
のび太が道具の操作を間違える
     ↓
異世界に迷い込む
     ↓
脱出するために困難を乗り越える

やっぱり、普段から未来の道具を使っていると言っても、そこは普通の小学5年生ですよ。
見知らぬ世界に迷い込んだら戸惑いますし、夜になったら家に帰りたい。知能も小学5年生程度だと思いますし、大人に太刀打ちする力も持っていないはずです。

それを今までは、ドラえもんが上手にツアーガイド的な役割で先導して、困った事があれば未来の道具を出して手助けをしていた。ドラえもん映画の凄い部分って、ドラえもんが直接に手助けをしない部分にもあったりすると思うんですよね。敵に襲われそうになったって、のび太達に道具を渡して倒させる必要何かなくて、自分で空気砲やショックガンを持って(バーン!)「のび太君、もう大丈夫だよ。」と言う風に解決したって、現実としてはあり得る話だと思うんです。

でも、基本的にドラえもんは自分からアクションを起こすシーンが少ない。

ドラえもん映画はのび太達が困難を乗り越える過程に意味がある作品であって、ドラえもんは劇中で脇役的な存在じゃないとダメだと思うんです。それでいて、のび達が困ったら(こうしたら良いんじゃない?)と言う助言をしてくれる。でも、まだ小学5年生の子供ですから、ドラえもんが先導役としてストーリーや道筋を選んでくれる。そうやってドラえもんがツアーガイド的な位置にいることによって、視聴者(子供達)はのび太と同じ目線で異世界を冒険出来ると思うんですよね。

藤子トラベルが組んだツアーを堪能できると言うか・・。(笑)

壮大じゃなくなった理由◆)糎雲鐶癲,里埖瀬譽鵐献磧次


これも(↑)の続きのような話なんですけど、最近の映画はのび太達が大人っぽく描かれすぎていると思うんです。何とかレンジャーのような(普段は一般人だけれども、変身したらめちゃ強い!)みたいな感じで、異世界に行った時の姿が子供っぽくないとか言うか・・。強すぎると思うんですよね。

まぁ戦隊シリーズも同じテレ朝系列なんですけど・・。(笑)

さっきも言った様に、ドラえもんの映画はのび太達(普通の小学5年生)が困難を乗り越える過程に面白さがある訳で、子供達も自分と同じ立場であるからリアリティを感じさせてくれる。

でも、あんな冒険しているだけで不自然じゃん!

と言う風に思う人もいるかもしれませんが、その部分はドラえもんの未来の道具を使って(行けるんじゃない?)的な雰囲気を出しているんだと思うんですよね。

それが、ドラえもんの第2の役割でもあると思うんです。
でも、あまり凄い道具を出してしまうと(あの道具を使えば良いじゃん!)みたいな感じになってしまうので、ドラえもんの映画では上手い具合に(あの道具壊れてるんですよね。)という定番のパターンがあったり・・。(笑)

自分は漫画家じゃないのでイマイチよく分からないんですけど・・。

あまり道具を強くしてしまうと、のび太達の存在意義が薄れる。

逆に、道具が薄すぎると(どうやって乗り越えたの?)的な感じになってしまう。

のび太達を強く描きすぎてしまうと、ドラえもんの存在意義が薄れる。
(=子供じゃなくなってしまう。)

この絶妙なバランスを上手に維持してる=藤子先生(藤子トラベル)の凄さ。
これに関しては、新旧版ある「のび太の魔界大冒険」の予告編をみて頂ければ、違いは分かると思います。(↓)

・映画ドラえもん のび太の魔界大冒険 予告編

     

・映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い  予告編

     

新バージョンの方がのび太君を強く描いています。(勇気ある少年)
う〜ん、どうなんでしょう?100%悪い訳じゃないのも事実なんですよね。

あっ、ちなみに「冒険戦隊 のぴ太レンジャー」の色分けは(↓)

=のび太

=ドラえもん(体の色通り・・。)

ピンク=しずかちゃん

黄色=スネ夫

=ジャイアン

壮大じゃなくなった理由 武田鉄矢さんのドラえもん論


武田鉄矢さんのドラえもん論 - 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記:
 のび太たちが、自分の足でこつこつと歩いたり、タケコプターなどドラえもんの道具を使って移動したり、移動の途中に食事をとったりキャンプをしたり… そんな場面がしっかりと描かれているため、読者は地に足のついた感覚を保ちながら異世界へ連れていってもらえるのである。
そう、この過程がドラえもん映画で一番面白い部分だったりするんですよね。
その部分について、ドラえもん映画の楽曲を提供している「武田鉄矢さん」が興味深い事を語っています。
藤子不二雄作品で素晴らしいのは、きちんと歩かせてますね。普通のマンガですと、たとえば魔王の屋敷があるとして、その屋敷の戸口にわりと早めに立たせてしまいますよね。 ところが、藤子不二雄マンガというかドラえもんたちの世界というのは、ちゃんと歩かせるんですよ。
藤子不二雄作品も素晴らしいけど、武田鉄矢さんも素晴らしい。(笑)
ドラえもん映画の凄いってそれなんですよね。(↑)の記事で言うなら、自分の足でこつこつ歩いたり、食事をしたり、その部分が重要なんだと思うんです。ドラクエで例えるなら、一番重要なのはラスボスを倒す事じゃなくて、そのラスボスに行くまでの過程が重要な訳じゃないですか?レベルアップの作業だったり、イベントだったり、アイテム集めだったり、探索だったり、全クリだけが目標なら(裏技ツール?)的なやつでレベル99まで上げれば良い話ですからね。

で、そうやって過程を踏んでいく事によって=最後の感動や達成感が増す。

その過程があったから、藤子トラベル版のドラえもんは壮大だった。
引用元の記事にも書いてありますけど、予告編でも紹介した「のび太の魔界大冒険」の中には、魔界星に付いてから⇒大魔王の城に付くまでのちょっとした冒険が描かれているんです。

・南極圏で肉食ツノクジラと対決⇒ジャイアンの歌で撃退。

・野原で食事⇒北風のくれたテーブルかけ。

・道に迷う⇒道路光線〜♪で突破。

・歩いて堂々と突入。

一方、「のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜」では(↑)のくだりが全てカット。
空いた部分に「のび太の魔界大冒険」では描かれなかった補完的な内容+新要素が追加されています。

ネタバレですけど、テレビで放送したから良いですよね?(↓)

・ドラえもんの腹痛の謎が追加。

・ドラミちゃん出現の謎が追加。

・美夜子さんがネコじゃなくてネズミだった。

・宇宙に(バイバイン)で増えたくりまんじゅんが振ってる。

・新道具が色々と追加(でも、一部は旧作よりカット)。

・ドラえもん達が来るのを予言していたのは大魔王の方だった。

その他モロモロ・・。

正直言って、リメイク版の「のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜」は大冒険じゃなくて、小冒険が正しいタイトルですよね。だって、魔界で冒険してないんですから。

× のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜

○ のび太の新魔界小冒険〜5人と3匹の魔法使い〜

それに、予告編の部分も不自然かな〜と思ったりします。

だって、ストーリー上では「もしもボックスが壊れたから元の世界に戻れなくなった」訳なのに、のび太が自身満々に(助けなくっちゃ!)何て言うセリフを言うでしょうか?仲間が捕まった後なら納得しますけど、物語が始まる前から(仲間を守るために!)何てセリフを言ってしまったら、あたかも前々から冒険に出るのも予知して準備していたような印象を与えてしまうと思うんです。

(さ〜明日は冒険に行く日だ♪仲間を助けなくっちゃ!)

もう完全に、声優さんの会話です。(↑)

本当だったら、(早く帰りたいよ〜!元に戻して〜!)ぐらいが妥当なんじゃないかと?
すいません、ジョークが良い過ぎましたね。^−^

でも、ドラえもんの映画はのび太達が偶然に不思議な世界に迷い込んでしまって、その困難をどうやって乗り越えていくのか?その過程が重要な訳ですし、その過程が色々な事を学んでいく。「のび太の雲の王国」だったら、天上世界を冒険して行く過程で、空気汚染の事だったり、自然破壊の事だったり、色々な事を学んでいく。同時に、観る側(子供達)も同じ過程を踏んでいくことによって、地球環境だったり、人とのふれあいの重要性を学んでいける。

     

最新作である「のび太と緑の巨人伝」も環境問題がテーマになってますけど、(↑)で言っているような過程がイマイチ省かれている感があったりする(個人的な感想ですけど)ので、あまり心に訴える要素は少なかったりします。

そもそも、地球の話じゃないからピンと来ない部分もあるんですけどね。
正直な話をすると、環境が話題になっているから入れたの?的な印象もあったりします。

冒険の中に自然とテーマを盛り込んでいる、それも(藤子トラベル)の凄さなんですよね。^−^

壮大じゃなくなった理由ぁ.織譽鵐叛射ァ畤祐屬任后


これに関しては、各地で色々な意見が出てきますね。
昔も声優さんのゲスト出演はありますけど、タレント声優さんが大量に起用され始めたのは「のび太の恐竜2006」辺りからですか?

ただ、あれに関しては(南海キャンディーズの山ちゃん)を除いて、まぁまぁ上手な方だったと思います。
今回紹介している「のび太の新魔界大冒険」の中にも、大量のタレント声優さんが起用されています。

ざっと紹介すると・・(↓)

満月美夜子:相武紗季
満月牧師:河本準一
メジューサ:久本雅美
ギム:山崎バニラ
ドラミ:千秋
二つ星悪魔:つぶやきシロー
アナウンサー:大下容子(テレ朝アナウンサー)
女の子:hiroko(mihimaru GT)
郵便配達員:miyake(mihimaru GT)
出木杉:萩野志保子(テレビ朝日アナウンサー)

その部分に関しては、色々なブログの反応を・・。(↓)

映画「新魔界大冒険」の声優は芸能人だらけ - 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記:
なんだかもう芸能人だらけのキャスティングで、一人ひとりの芸能人は決して嫌いじゃないけれど、こうなってくるといささかげんなりしてくる。芸能人だから絶対ダメということはないが、このキャスティングを見ると、作品の質を上げるより、芸能人の知名度に頼った話題づくりを優先させているとしか思えない。
サチコの日記:発見?? 映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い - livedoor Blog(ブログ):
声優としちゃったりしての実力がないんですし、普通に女優とかをやっててほしいです 中途半端な力の入れ様でだったかな、本職で声優とかをやっている方にあの棒読みのセリフは失礼以外の何でもあったりますかどうかは、本人に聞いてみないと……。
色々と思う部分はありますけど、100歩譲ってよしとして・・。(笑)
タレント声優さんを起用してから興行収入が2倍近く上がっていますし、映画を存続させるには、ある程度の興行収入が必要なのも理解出来ます。

でも、でも、そんなの関係ねぇ〜! じゃなくて・・。(笑)

タレント声優を使って「○○役の○○アピール」は辞めて欲しい!

タレント声優さんを起用するのはある程度仕方の無い部分なのかもしれませんけど、テレビ放送やCMで(○○役の○○です。)的なアピールは辞めて欲しいです。

正直、子供達の夢を完全に壊してます。
大人だったら良いのかもしれませんけど、子供はアニメのキャラクターが実在すると思って観ている訳ですし、ドラえもんのポケットが出てくる道具に夢を感じている訳じゃないですか?
(あんな事いいな♪できたらいいな♪)的な・・。

それが、テレビの前で(○○役の○○です。今回、声優を担当する事になりました。)なんて言ってしまったら、子供はドン引きですよ。せっかく不思議な世界の冒険なのに、子供からしたら(あの○○さんがやってるんでしょ!)なんて思ってしまったら、その冒険には夢もロマンも何も無くなってしまうと思うんです。

子供だけじゃなくて、大人もそうです。
声優のアピールをされてしまったら、そのキャラクターをキャラクターとしてじゃなくて、声優を担当しているタレントさんとして見てしまう。

それに、声も演技声(地声)に近かったりするので、悪い意味で現実感を出してしまうと可能性があると思うんです。アニメの声優さんが変な声?(高い声)を出している理由って、現実感を想像させないためだと思うんですよね。だから、アニメの中身を素直に受け入れられる。

それに、声優としての能力についても色々と思え事があって・・。

劇場版は良いと思うんです。話題性もありますし、タレントさんに興味のあるお客さんも来てくれる。でも、その作品が5年後、10年後と経過して行った時、タレントパワーが無くなった時(その作品を観ますか?)と言う話になると思うんです。

現に、DVDが不調だって話も聞きますけど・・。

2回目に観た時には、必ず声優として評価されてしまう。
声優の演技が下手だったら=作品の面白さが下がってしまう=つまらない作品。

作品は30年近く残っていく訳ですから、品質を下げた作品を出し続けていってしまうと、徐々にドラえもんがつまらない作品として認識されていってしまったり、TSUTAYAからも姿を消す存在になっていってしまうかもしれない。

藤子トラベル(藤子先生)が築き上げた信頼を失わないためにも、劇場公開された後の事も考えた映画制作をして欲しいと思います。

まぁ、一ファンからの要望なんですけどね。(笑)

映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い スペシャル版

 映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い スペシャル版

@おまけ


武田鉄矢さんの話が出たので、ドラえもん映画の中でも一番人気のある楽曲「少年期」です。

     

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