客は徹底的に素人です。素人は絶対に自分の好みを揺るがしにしませんから。きれいな絵、きれいなねーちゃん、きれいなヌード……きれいなもの、ぱっと見れ ば見た瞬間は気持ちいいです。が、2回見ますか? 不思議と2回、3回見ていいものは、きれいなだけのものでは絶対にないんですよ。そこは忘れていただき たくない。

「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) - ITmedia News:
先日、コナン最新映画「戦慄の楽譜」のDVDを借りてきて観ました。^−^

「黒の組織」の話が一挙に放送される回を観てから空前の(コナンブーム)が到来して、過去の作品から見返し始めてます。って、どうでもいいね。本題、本題。で、コナン映画を(ローソンのゴマとチーズのパン+スターバックスコーヒー)を飲みながら観たんですけど、元太が異常なまでに他人の飲み物に執着(何かある感100%)だったり、コナンが音痴なのに「絶対音感」を持っていたり、不自然な点が幾つか。ミステリー要素が多くて面白いんだけど・・。

全体的に寄りの絵が多くて、どうにも映画並みのスケールを感じなくて安っぽい!
予告編(↓)を観てもらうと分かると思うんですけど、予告編はすっごい観たい欲求を駆り立てられるんですよ。(えっ、爆破されんの?映像キレイ!)とか思う。けど、いざ本編を観ると、話が飛び飛びなので(おー爆破された?)ぐらいの感覚しか受けないんです。

     

これはコナンに限った話じゃなくて、アニメは年々安っぽさが際立ってくる。

B級のパクリ映画みたい!映像は綺麗だけど・・。

で、はてなブを見ていたら「機動戦士ガンダム」の監督(富野由悠季さん)がその答えのような事をガンガン言いまくっている記事を発見したので、「戦慄の楽譜」の感想と共に、気になった箇所を幾つかご紹介して行きたいと思います(ネタバレ含みます)。

名探偵コナン「戦慄の楽譜」の疑問&感想


長くなりそうなので、簡単に羅列して説明します。
  • オープニング後、爆破殺人現場「堂本アカデミー」でコナンが1人で調査をしている。
  • 元太がソプラノ歌手(秋庭怜子)の飲み物に異常な執着。その後、合唱大会の練習を見てもらっている時に飲んでしまい、犯人の仕組んだ毒によって喉を炎症。
  • 蘭と園子のテニスシーン。
  • 前半では音痴だったコナンが、映画の最後の方では「絶対音感」を持つ設定になっている。
コナン映画はアクション性が高い作品が多いけど、今作では「受話器をサッカーボールで落とす」アクションが1回あるだけ。ただその分、ミステリー要素がたっぷり。タイトルに「音譜」とあるだけあって、クライマックスで歌われる「アメージング・グレイス」なんて、まさに映画で観る演出だと思います。元太が喋れないのは残念だけど、灰原が作品中で珍しく活躍してます。

そんな意味も含めての「異色作品」なのかもしれませんね。

で、で、新鮮な展開や綺麗な音楽が流れたりして「異色コナン」としては良い作品なんです。でも、でも、(↑)で説明しているように推理を進行するための設定が多少無理矢理だったり、予算をケチったのか知りませんけど、全体的に固定カメラで画が殆ど動かない。コナンが爆破されるコンサートホールにヘリコプターで降り立つシーンがCGで描かれているんですけど、画が殆ど動かないで推理が進行するので(爆破ドン!)となっても、緊迫感は殆ど無いんです。

ここで、富野さんのアニメーターに対する発言をご紹介。(↓)
同じソフト使ってたら独自の物は作れるわけないと思う。

みなさんはそう思ってないでしょうが。  

水彩絵の具や鉛筆、コンテ、油絵の具などで描いていた時代は、多様な描き方があったんです。だがCGを使って描き始めた時、みんな基本的にほとん ど同じじゃない? 質感の違いを誰が突破してる? どこかのソフトメーカーが作ったものを使ってその上にぺたぺた貼り込みしているだけでしょ。

「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) - ITmedia News:
コナンに限らず全てのアニメ作品は年々進化してる。CG技術で立体的な表現が可能になったり、手塚先生の名作(鉄腕アトム)の白黒カクカク動画&セルで1枚1枚撮影していた時代とは比較にならないレベルで進化していると思います。

ここで面白い話を一つ。

じゃあ良い作品が生まれ続けているのか?と聞かれると、アニメ技術が進歩したからといって面白い作品が生み出されるとは限らない。未だに、自分の中(世間もそう?)では「鉄腕アトム」「天才バカボン」「ドラえもん」を超える作品は生まれてないと思うんです。むしろ、技術が進歩するにつれて、中身の薄っぺらい、中身の無い作品が増えているように思う。

ドラえもんやコナンのように10年以上も続けている作品だと(まんねり)という事体も避けられないのかもしれない。けど、今の作品って(カワワイキャラ)を使ってCGで壮大風に演出しているだけ。話は適当に仕立てた仮縫いみたい。何のメッセージ性も無いと思うんです。

コナンだって、初期の方はめっさ動いてますよ。

     

近年の作品は、画は綺麗だけど固定で喋るシーンが増え過ぎです。

     

日本のアニメの大きな特徴って(言葉で訴える)部分にあると思うんです。NHKスペシャルの「日本とアメリカ 第2回 日本アニメ vs ハリウッド」でも紹介されてましたけど、海外は1秒間に日本の倍のコマ数を使って(ディズニーの白雪姫)のように、軽快に動いて(動きで表現する)作品が多い。

ラリリ♪ラリロロ♪ラリルレロ?


     

対して、日本のアニメは台詞で訴える作品が多い。
宮崎監督の「アルプスの少女ハイジ」だって、クララがハイジに駆け寄っていくシーンは超有名ですけど、どちらかと言えば台詞「立った、クララが立った!」の方が有名じゃないですか。(すいません、本物はありませんでした。)

     

海外と違って毎週放送される作品なので、時間と予算の関係でカクカク動画にするしかなかったという事情があるそうですけど、日本人の国民性とでも言うんでしょうか?日本人は外人と違って(オー!ウェルカム。チュッ♪チュッ♪)みたいに行動じゃなくて、言葉で自分の感情を表現する。その分、言葉に強いメッセージが込められている。それが、日本のアニメ(Japanese animation)の魅力であり、特徴だと思うんです。ドラえもんの話ばっかりで悪いんですけど、ドラえもん作品の中には子供向けとは思えない哲学的な名言が沢山ある。って、漫画の話・・。
いっしょうけんめい  のんびりしよう (のび太)

いつまでも子供じゃいられないものな・・。 
わかっているんだよ、 このままじゃいけないってことは・・・。 (のび太)

君はこの先 何度も転ぶ でもその度に立ち上がる強さも 君は持っているんだよ (ドラえもん)
よく考えれば、アニメって殆どシーンは覚えて無いですよね(自分だけかな?)。
有名作品だって内容(クララが立って、そんでハイジが駆け寄って・・。)は分かるけど、そのシーンの映像までは覚えてない。強烈に残るのは「言葉」であり、中身なんです。
「俺が、私が一番やりたかったのはこれなんだ」というものが張り付いていない気がします。

特にCGは手描きよりきれいに仕上がりすぎます。

ルックスの良さでごまかされていませんか、ということがすごく気になっています。  そうなると「これ描くのに1カ月かかったかもしれない」という鉛筆の線の方が力ある。PCのコピーで済ましているようなものとの違いは何なんだと いうと、生身の皮膚感を持った作品には勝てません。デジタルワークの一番恐い部分は、きれいになってしまう、動きが良くなってしまうことでごまかされてい ることです。

「お前らの作品は所詮コピーだ」――富野由悠季さん、プロ論を語る (1/5) - ITmedia News:
自分はCGを使う事が悪いとは思ってない。けど、最近のアニメは映像やCGに拘り過ぎてメッセージ性が薄れている作品が多いような気がします。アニメって、作者の伝えたいメッセージを、キャラクター(人物)を介して表現する。富野さんが言ってる「PCのコピーとの違いは、生身の皮膚感を持った作品」と同じで、メッセージ性(ストーリー)の良い作品、強い作品には(画)にパワーが生まれると、個人的な意見ですけど、思ってます。

リアルに近づく程に不自然の法則


アニメは非現実の世界で表現される。CGでリアリティを追求するのも面白いと思う。だけど、実写映画と違ってアニメの場合は(非現実世界)でのお話なので、あまりリアル過ぎると不全になる(実物大のドラえもん何か、バケモノですよ。おばQですよ、怪物くんですよ・・??)。

中国の学生が作った「3Dのドラえもん」という作品があるんですけど、案の定、不自然です。(笑)

     

宮崎監督がポニョを全て手書きに拘って製作しましたけど、あまり詳しくないんで憶測ですけど、富野さんの言ってる(手書きの力)と(リアリティ追求から生まれる不自然さ)を払拭したかった?という、理由もあったのかも・・しれませんね。

お店に行って無数に色が選べたとしたら、人は定番の色を選んでしまう。


とか言いますけど、技術も同じで無数に技術が選べるとしたら、無意識のうちに(安易な選択)をしてしまっているのかもしれません。
科学は人間の生活を豊かにしたが  同時に心を貧しくしたのではあるまいか 

(ドラえもん)
そうかもしれない。ミステリートレインのキップ、夢見る心あるかな・・。(笑)