なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進
ルパンに関する記事がはてブで話題になっていた。これは、もしかするとドラえもんにも当てはまる問題なのかもしれない。
今日は、そんなエントリーを皆様にお届けします。

最近のドラえもん。分かりやすく説明すれば大山のぶ代さん卒業→水田わさびさんへのバトンタッチ後に起きている現象です。旧ドラえもん世代にとっては15分の2話で30分というのが当たり前でしたね。各話毎に新しい道具が登場して子どもたちやファンを楽しませていました。新しいドラえもんは原作コミックスに忠実。そんな事を言われているが、最近では30分丸まる長編の編成を組む事が多々ある。ドラえもんの最大の見せ場である道具も出ないまま、のび太たちが右往左往して終わるというパターンも増えてきた。「ドラえもんは道具のナンセンスさを楽しむギャグ漫画なんだ」…これは生前、F先生がインタビューで語っていた事です。

まぁアニメ版は原作をリメイクしたものが多いので「許容範囲内」ではありますが、とくに映画版の評価は年々下がってきています。「ドラえもん のび太の恐竜2006」。そして、ドラえもん映画史上最大の興行成績を叩き出した「ドラえもん 新のび太の魔界大冒険」。最近では、「ドラえもん 新のび太と鉄人兵団」などリメイクにおいてはそれなりの結果や作品を生み出していますが、オリジナル作品においての「評判」と散々なものがあります。
  • リメイクは上手いがオリジナルはダメ。
現在、公開されている「のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜 」。2年前の「のび太の人魚大海戦」。特に、ドラえもん映画史上最大の問題作といわれる「のび太と緑の巨人伝」は酷かった。ドラえもんのエッセンスを全部削いで、環境問題を無理やり詰め込んだような作品。まぁでも興行的には30億円越えなんだから、「営利的」には成功の部類に入るのかもしれない。
  • ドラえもん初期世代が作るドラえもん
ルパンの岡田麿里さん76年生まれとは若干異なるけど、ドラえもんを実際に作っているのが、ドラえもん初期世代という点は興味深い。「のび太と緑の巨人伝」の脚本を勤めた大野木寛さんは59年生まれ。「人魚大海戦」の真保裕一さんは61年生まれ。ドラえもん連載開始が69年だからF先生が生きていた頃の初期のドラえもんをそのまま通過してきた年代だ。F先生がご健在だった頃の映画は全てF先生自身が脚本を手がけている。F先生が亡くなった後の1作目「のび太と南海大冒険」から個人的には映画としての「クオリティ」。つまり、完成度がぐっと下がったような気がします。
  • ドラえもんを観てドラえもんを作る
ルパンで言う所の「カリオストロの城」。宮崎駿的思考じゃないけど、ドラえもんにも似たような所がある。つまりは、F先生の原作をお手本に作品を作っているという点だ。この過程で生まれてくるのは一見、オリジナルのように見えてオリジナルでない。「緑の巨人伝」でのキーボーよろしく、原作を膨らませた作品が劇場版となっている場合が多い。確かに、F先生自身も原作を膨らませて劇場版を作っていた。しかし、本人が作るのと他人が作るのではまったく違うのだ。元記事でルパンのテレビスペシャルが不発だと書かれている。実際、僕も最近のルパンTVSPは酷いと思った。(個人的に最高傑作はワルサーP38だと思ってる…)この原因は何なのか分析すれば、つまりモンキーパンチではなく宮崎駿であり、それまでのTVSPを元に作っているという点だ。つまり、「オリジナルっぽいオリジナル風味」が生まれている事になる。

「のび太の人魚大海戦」で言うと所の、とりあえず原作のアイテム「架空水面シミュレーター・ポンプ」を出して、異世界飛ばして、強い敵と戦えば良いんでしょ!はいはい。的なお粗末なストーリー展開がゆるせい。

ここで厄介なのが、ある種の方程式が生まれているという点だ。
簡単に説明すれば、文章で言う所の「起承転結」だろう。

ルパンで言う所の「起承転結」は以下のようになる。
1.ルパンが次元に大秘宝の存在を明かす。
2.それを嗅ぎつけた銭型警部登場
3.お宝に関する情報を手に入れるが謎の組織に捕まる
4.何だかんだの末、お宝を手に入れるルパンであるが、諸事情でお宝を手放してしまう。
ドラえもんで言う所の「起承転結」はこうだ。
1.のび太がスネ夫に何かを自慢される。
2.ドラえもんが秘密道具を出すが、誤作動か何かで異空間に飛ばされる。
3.ジャイアンやスネ夫の助けを借り、地球への帰還を目指す。 
4.無事、地球へと生還。しずかちゃんの名台詞「宿題しなくちゃ」で終わり。
この方程式の呪縛から離れられない。1つ変えるだけでも心臓に毛が生えるくらいの勇気がいる。例えるなら、将棋に新しい駒を1つ追加するようなものだ。羽生さん大混乱だよ本当に…。
  • 日本のコンテンツ界に蔓延る「好き」という老害
降りかえれば奴がいる。ちょっと古いドラマ…まぁ関係ないけどさ。日本の全てのコンテンツ界において、この病気は光の速さで伝染されてゆく。つまり、元になる作品を参考に新しい作品を作る。例えば、音楽でいう所のお手本がビートルズ、もっと古くはベートベンやバッハなどてはなく、小室哲哉さんやミスチルだったりする。アニメで言えば、追いかけるのは「宮崎駿」であったり「富野由悠季」だったりする。(両氏の凄い点は社会の喜怒哀楽、そして善・悪を子ども向けアニメに投影させた事だ。)宮崎駿が何故、凄いと言われるのか。それは、興行的な成功ではなく、参考文献の少なささだろう。そこから独自の手法。よく言われる縦の動きなどを生み出した。(アニメの元祖はディズニーであり、日本では鉄腕アトムだ…という意見は受け入れます。)もっと言えば、お手本が無い代表的な存在だろう。

ドラえもんやルパンが何故、劣化の一途を辿っているのか?

つまり、「好きな作品」をお手本に作っているからだ。ある意味、テレビ世代であり漫画世代。かっこよく言えば「テレマン」だ。(ヤリマンとは無関係。)宮崎駿作品、例えば「カリオストロの城」をお手本にしたら、完成する作品は劣化版「宮崎駿」でしかない。これはアニメ監督や脚本家には滑稽だ。ルパンやドラえもんといった日本を代表する作品に新しい命を吹き込む勇気。ピカソの絵に新しい色を塗る勇気。だから、今の作品はどこかで観たように当り障りのない作品になっている。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ大人帝国の野望」でしんちゃん映画に新しい息吹を盛り込んだ原恵一はその呪縛から離れた1人かもしれない。

今の若いクリエイターたちは戦争を教科書でしか知らない世代だ。喧嘩だってしたことないかもしれない。戦いはバーチャファイターで学んだ。そんな事を真面目に言いそうな気がする。宮崎駿が養老孟司との著書「虫眼とアニ眼」の中で、最近のアニメーターはカッターで鉛筆さえ削れない。展開図すら作れないとなげていた事を思い出す。
  • 日本のコンテンツ復興に必要なバカが必要
最後に、日本のコンテンツが「つまり、ルパンやドラえもん」が復活し感動を届けるにはどうれすればいいのか?について書く。簡単に言えば、「バカを採用する勇気」が必要だと思う。今のアニメ界は当然の如く、「アニメ大好き」=「アニメオタク」が集まっている。しかし、アニメ好きが集まったからといって凄い作品が完成するわけじゃない。例えば、周りにいる野球大好きおじさんに読売巨人軍の監督をやらせても、たぶん、セリーグすら優勝できないと思う。

逆に、今必要なのはアニメも漫画も一切見た事がない人材だ。
そんな人材にドラえもんやルパンの脚本を担当させてみる。そんな科学変化おもしろくない?