最近は、テレビ離れという言葉も聞くけど、スマホやネットが本格的に普及する数年前までテレビは娯楽の王様だった。年代によって好きな番組は違うものの次の日学校に行って「ねぇねぇあれ見た?すごかったよね。」と言えば大抵は通じたものだ。今やニコニコ動画も細分化され、自分が好きなボカロの曲を必ずしも友達と共有する事できない。本書「テレビリアリティ」は、そんな70年代〜00年代のテレビの歴史をバラエティを中心に考察します。



●バラエティの原型は萩本欽一が作った。



70年代バラエティ黎明期において、バラエティの基礎を作ったのは萩本欽一その人といっても過言ではありません。今では当たり前になった客いじりや、観客の笑いをテレビで一緒に放送するという手法は彼が編み出したものです。1週間の総視聴率が100%を越え、「視聴率100%男」という称号を欲しいままにした。そして、欽ちゃんがもう一つ生み出したのが、入念な稽古と本番での少しのずれだった。彼曰く、稽古でやった事を本番で少しずらす。これがバラエティにリアリティを生んでいたという。構成作家を利用した、現在のテレビの制作スタイルを確立したのは欽ちゃんが最初だと言う、、。



しかし、80年代に入り、欽ちゃんの影響力は次第に弱まりつつある。



●ビートたけしの時代。



欽ちゃんの時代から80年代に入りテレビ業界に新しいスターが誕生した。そう、現在でもお笑いBIG3として知られるビートたけしという人物。欽ちゃんが練られたコントや番組を作るのに対して、ビートたけしはある意味でドュメンタリー性を重視していた。例えば、たけしさんのオールナイトニッポン。それこそ当時の世代にバイブルとして名高い番組ですが、番組開始時に「この番組は視聴者のためではない」「俺のための番組だ」といった言葉が有名。
しつかりと計算した上で「この番組はキミたちのものです」と言い切る偽善性、うさんくささ、、こうしたものを、たけしは(ワザトラシサ)という。
たけしは欽ちゃんの事が嫌いだったと聞く。ただ、構成作家集団をたけしさんも活用したように、欽ちゃんが編み出した手法は面々と受け継がれている。それは否定できない。



その当時、フジテレビはとんねるずの「オールナイトフジ」のようにテレビは急激に深夜ラジオ化していく。



●どちらもボケ。 〜ダウンタウン〜



これは面白い指摘だと思った点が、ダウンタウンがボケの松本、ツッコミの浜田ではなく、どちらもボケとしている点です。これは00年代のスリムクラブにも共通する事です。お笑い芸人の格上げをしたのが欽ちゃん、そしてそれを完成されたのがダウンタウンだという。時を同じくして、松本人志は苦悩していたという。テレビから双方個性が排除された。それが90年代とも言える。



●そして時代は小さな双方向性に戻る。



ニコニコ動画の台頭やYouTubeの存在。ネットの進歩によって、コンテンツは小さな双方向性、そして小さなコミニティになりつつある。誰もが同じ物を観るのではなく、同じ物を観ている同士が交流する。従来のテレビに比べると規模は圧倒的に少ない。ただ、その中でも「水曜どうでしょう」といった成功例もある。本音ではテレビは大多数に支持されるもの、昔のように「国民的番組」があってもいい。ただ、それは時代に合わない部分もあるのかもしれないですね。