お茶の間という表現自体が死語になっているのかもしれない。円卓で食事をする(現代風に言うなら、ダイニングキッチンで)これ自体がもう古いのかもしれない。各自が部屋に食事を持ち込んで食べるというのはさすがに無いのかもしれないけど、食事の時間がバラバラ、家族との食事でも何にも喋らない。女子高生なんて父親と洗濯モノを一緒にするのが嫌だという。僕は思った、家族ってなんだろう?って…。

僕の中での幸せの定義はこう…。
夜、家族でテレビを見ながらおしゃべりをする事
だと思っている。昔、昔、っていうのも変な話しだけど、昔は家族で見る番組が多かったような気がする。古くは「全員集合」、新しくは「ネプリーグ」や「Qさま」といった番組がそうかもしれない。ちょっと古くは「クイズ・マジカル頭脳パワー」や「ウリナリ」、「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー」なんていう番組があったりした。最近のテレビ離れが久しいと聞く。お父さんが見る番組は「相棒」とNHKのニュース番組くらい。そんな家庭も増えている気がする。テレビ局の予算削減の煽りのなのか、最近の番組はつまらないと聞く。それに加えて規制が厳しくなったという話しも聞きます。「熱湯コマーシャル」が日曜日のお昼に流れていた時代が懐かしい…。

今の時代は、さとなおさんの著書「明日の広告」によれば「ネオ茶の間」という時代らしい。お父さんは新聞を読んで、子供たちは携帯片手に友達とメールをする。テレビを見ながらTwitterやFacebookに投稿するというのも日常の光景となってきた。もしかすると、各部屋に1台ずつテレビがあって、各自、違う番組を見ているのかもしれない。テレビといえば職場や学校での定番のネタだった。ねぇねぇ、昨日あの番組みた?超面白かったよねー。何ていう微笑ましい会話がなされていた時代があった。


tv car / torisan3500


よく考えれば、今の時代の家族の会話ってなんだろう?って思う。
お父さんとTwitterやFacebookで繋がっている家族なんて本当に稀だろう。お父さんはTwitterの名前すら知らないのかもしれない。それに加えて、最近ではYouTubeやニコニコ動画でお気に入りの番組を視聴する子供たちも増えてきた。初音ミクなんて「は」の文字、もしかしたら「はつおんミク」と読むかもしれない。

こんな時代、本当の意味で共有するものってなんだろう?と考えてみる。
何も関連性を持たない関係。そんな時代が目と鼻の先に訪れるのかもしれない。確かに、コンテンツは増えた。しかし、増えたことの弊害もあるのかもしれない。僕、個人の考えとしてコンテンツは1時間に数個あればいいと思う。それ以上は過剰だ。分かりやすい。お父さん向け、お母さん向け、子供向け、家族向け、それぞれ各局が1つずつ提供してくれればいいと思う。「といいつつ、スカパーに加入している我が家」。コンテンツ過剰の時代だ。テレビ局の視聴率が振るわなくなって久しい。かつては人気番組だった「めちゃイケ」も最近では影を潜めている「世界一受けたい授業」も視聴率がイマイチだ。確かに、個人視点で考えればコンテンツの多チャンネル化は好ましい。「内村さまぁ〜ず」のようなネット配信+DVD化で稼ぐ方法もある。


テレビ欄 / Sekikos


しかし、コンテンツの多チャンネル化は家庭の茶の間を崩壊させる。
本当の意味で家族との共有ができなくなってしまうのだ。

今、求められるのは本当の意味で老若男女が楽しめる番組かもしれない。
「ウリナリ」のポケビ100万人署名のように社会現象、万人に支持されることが今の時代は必要だ。いやはや懐かしい…。

ゴールデンにはどっと予算をつぎ込んで欲しい。
そう考えると、今の勝ち組は「イッテQ」だったりするのかもしれない。逆の意味では、「水曜どうでしょう」も勝ち組なのかしれないが…。


茶の間、ネオ茶の間。社会全体が共有できる番組に期待したいところです。