スーパーマリオ3Dランドが面白い。そんな記事が、はてなブックマークで話題になっていた。
この記事を読んでくれている読者の中にも、マリオのために3DSを買った…という人もいると思います。任天堂の凄さというのは、そのソフトよりも戦略にあると思う。ハードが進化するたびに、マリオが進化しより誰もが遊べるゲームへと進化してきている。マリオの凄さはゲーム上において誰もが平等だという点だ。RPGの定番で言うレベル上げの概念がなく、何時、何時に遊んでもレベルにおいて平等だという点だ。スターやキノコといった定番パワーアップアイテムはあるものの、スターで最強になったら焦って穴に落ちた…という苦い経験をした人も多いでしょう。マリオカートにおいても貰えるアイテムはランダムで手に入る仕組みになっている。つまり、「平等院任天堂」だ。(笑)今、流行のソーシャルゲームのように「アイテム課金をしたものが最強」とは対極に位置していると思う。
1.マリオシステムの死角。
一見、完璧に見える「マリオシステム」だが、そこには死角があると思っている。
それは市場における「マリオの飽和」というものだ。Wiiでマリオが発売され、3DSでマリオが発売される。ある意味でここ数年はマリオバブルの時代だった。DSでは「New スーパーマリオブラザーズ」、Wiiでは「スーパーマリオギャラクシー」「New スーパーマリオブラザーズ Wii」、3DSでは「スーパーマリオ3Dランド」が発売された。何十年という歳月をタイムマシンで飛び越えたようなスピードだった。
任天堂も商売だし、消費者もバカではない。新製品を発売するには、何かしらのプラス要素を加えなければ新鮮味が無い。「マリオカート7」で言う空を飛ぶハンググライダーがそれに当たるし、スーパーマリオ3Dランドにおける「3D」投入もそのプラス要素だと思う。しかし、ここに「マリオシステム」の問題点がある。つまり、進化を続ける過程で任天堂自ら難易度の壁というものを作ってしまう危険があるのだ。仮に、マリオにレベルの概念があったとして、50レベルまで上げればテイルズシリーズにおける「魔神剣」「紅蓮剣」みたな技が使えるというのはどうだろう。1シリーズだけなら面白い試みだと思う。うわっ、マリオすげぇ!となる可能性はある。(スーパーマリオRPG的なゲームか?)。しかし、お年寄りから子どもまで遊べるマリオという名作においてレベルという概念は不要だと思う。マリオはマイナーチェンジを繰り返してもフルモデルチェンジをしてはいけないと思う。
ポケモンで言うところの新キャラといったところか。同じものを買うほど消費者もアホではないし、子どもがおこずかいを握り締めて買うのだ。それなりの満足感が無ければ、任天堂ブランドは一気に朽ち果ててしまう。このバランスが難しい。ゲームとしては当然、難しい方がやりがいがある。しかし、難易度を上げるほど敬遠される可能性が高くなるのだ。しかし、難易度を下げれば下げるほどヘビーユーザーにとっては物足りないゲームになる可能性がある。「誰だってピーチ姫を救出したいばずだ」その点で言えば、3Dランドにおける難易度の高い裏ステージなどは初心者、上級者共に遊べる点。そのステージに上がるためにはスターというアイテムを集める必要がある点。さらに、3DSランドにおける、取るとゴール地点に飛ばしてくれる「パタパタの羽」や、同じコースを5回失敗すると出現する「無敵このは」などはゲームが苦手な人にも最低限、気持ちよくプレイして貰おうという配慮が感じられる。
新作「スーパーマリオ3Dランド」においても、一歩道を移動するというマリオの王道は崩していない。1度クリアしても何度も何度も遊べるように設計されている。スターを全て集めようとか、土管や雲の上のコースを歩いてみょうなど、消費者自身の難易度で遊べるようにプログラミングされいるのだ。中古ゲーム屋さんでマリオ作品の値段が下がらない理由もこの、万人が楽しく遊べるゲームバランスにあるのかもしれない。
ニンテンドーDS用の「New スーパーマリオブラザーズ」が国内販売数600万本を突破し、初代「スーパーマリオブラザーズ」に続く歴代2位の売り上げを記録したのも、初心者からお歳よりまで全年齢、全レベルのユーザーを意識した点が貢献していると思う。この絶妙なゲームバランス、絶妙な満足感を演出する事が、任天堂おける最大の課題であり「マリオシステム」の運命を握っているのかもしれない。
2.宮本茂という天才の行方
スティーブジョブズの死がアップルの株価を下げたように、宮本茂の死が任天堂の株価を下げる事になるのかもしれない。「宮本茂が死んだら任天堂は潰れるんじゃない?」そんな声も聞こえてくる。確かに、任天堂がこれまでに発売し大ヒットを記録した殆どの製品に宮本茂氏が関わっている。宮本さんは今年で60歳。普通の会社だったら定年の年齢だ。勿論、生きている限りゲーム開発に携わると思う。いゃそう願いたい。
・マリオシリーズ
・ゼルダシリーズ
・ドンキーコングシリーズ
・ピクミンシリーズ
・どうぶつの森シリーズ
など等、他にもWii用の「Wiiフィット」なども宮本さんの作品ですね。
任天堂における宮本さんの存在はアップルにおけるスティーブジョブズ的な存在なのかもしれない。勝手に宮本さん無き後の任天堂を想像してしまう。こんな事を書くと、宮本さんの師匠で「枯れた技術の水平思考」の生みの親である「横井軍平さん」の事を思い出してしまう。ゲームウォッチやゲームボーイの生みの親。3DSが生まれるずっと前に3Dに挑戦した人物だ。ファミコン以前、子ども用玩具を作っていた任天堂時代には横井軍平氏のアイディア一つで新製品が開発されていたらしい。今の宮本さんもその立場にいるのかもしれない。任天堂の次世代を担う人物がマリオを超えるヒット作品を生み出せるのか?そこに不安を思うユーザーも多いだろう。しかし、現在の任天堂にとって…
マリオシリーズをいかに多くの消費者に遊んでもらうか。そこに、任天堂の未来があるのかもしれない。
・スーパーマリオ3Dランドが素晴らしいわけ - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記勝手な推測ではあるが、任天堂の看板ソフトといえば、やはりマリオ。次がゼルダだと思っている。それぞれファミコン、スーパーファミコンの時代から売れ続けている超人気ソフトだ。ニンテンドー3DSが不調と言われているが、「スーパーマリオ3Dランド」「マリオカート7」が立て続けにミリオンヒットを飛ばし、3DS建て直しの立役者となっている。任天堂にはドル箱商品である「マリオ」がある。僕はこの新ハード+マリオの組み合わせを「マリオシステム」と呼んでいる。勝手に説明するなら、マリオが発売される事によってハードが売れる→ハードが売れる事によってソフトが売れるという好循環の事だ。いわゆるローチンタイトルという物かもしれない。3DSも最初は不信だった。それを一気に塗り替えたのがマリオである。
この記事を読んでくれている読者の中にも、マリオのために3DSを買った…という人もいると思います。任天堂の凄さというのは、そのソフトよりも戦略にあると思う。ハードが進化するたびに、マリオが進化しより誰もが遊べるゲームへと進化してきている。マリオの凄さはゲーム上において誰もが平等だという点だ。RPGの定番で言うレベル上げの概念がなく、何時、何時に遊んでもレベルにおいて平等だという点だ。スターやキノコといった定番パワーアップアイテムはあるものの、スターで最強になったら焦って穴に落ちた…という苦い経験をした人も多いでしょう。マリオカートにおいても貰えるアイテムはランダムで手に入る仕組みになっている。つまり、「平等院任天堂」だ。(笑)今、流行のソーシャルゲームのように「アイテム課金をしたものが最強」とは対極に位置していると思う。
1.マリオシステムの死角。
一見、完璧に見える「マリオシステム」だが、そこには死角があると思っている。
それは市場における「マリオの飽和」というものだ。Wiiでマリオが発売され、3DSでマリオが発売される。ある意味でここ数年はマリオバブルの時代だった。DSでは「New スーパーマリオブラザーズ」、Wiiでは「スーパーマリオギャラクシー」「New スーパーマリオブラザーズ Wii」、3DSでは「スーパーマリオ3Dランド」が発売された。何十年という歳月をタイムマシンで飛び越えたようなスピードだった。
任天堂も商売だし、消費者もバカではない。新製品を発売するには、何かしらのプラス要素を加えなければ新鮮味が無い。「マリオカート7」で言う空を飛ぶハンググライダーがそれに当たるし、スーパーマリオ3Dランドにおける「3D」投入もそのプラス要素だと思う。しかし、ここに「マリオシステム」の問題点がある。つまり、進化を続ける過程で任天堂自ら難易度の壁というものを作ってしまう危険があるのだ。仮に、マリオにレベルの概念があったとして、50レベルまで上げればテイルズシリーズにおける「魔神剣」「紅蓮剣」みたな技が使えるというのはどうだろう。1シリーズだけなら面白い試みだと思う。うわっ、マリオすげぇ!となる可能性はある。(スーパーマリオRPG的なゲームか?)。しかし、お年寄りから子どもまで遊べるマリオという名作においてレベルという概念は不要だと思う。マリオはマイナーチェンジを繰り返してもフルモデルチェンジをしてはいけないと思う。
ポケモンで言うところの新キャラといったところか。同じものを買うほど消費者もアホではないし、子どもがおこずかいを握り締めて買うのだ。それなりの満足感が無ければ、任天堂ブランドは一気に朽ち果ててしまう。このバランスが難しい。ゲームとしては当然、難しい方がやりがいがある。しかし、難易度を上げるほど敬遠される可能性が高くなるのだ。しかし、難易度を下げれば下げるほどヘビーユーザーにとっては物足りないゲームになる可能性がある。「誰だってピーチ姫を救出したいばずだ」その点で言えば、3Dランドにおける難易度の高い裏ステージなどは初心者、上級者共に遊べる点。そのステージに上がるためにはスターというアイテムを集める必要がある点。さらに、3DSランドにおける、取るとゴール地点に飛ばしてくれる「パタパタの羽」や、同じコースを5回失敗すると出現する「無敵このは」などはゲームが苦手な人にも最低限、気持ちよくプレイして貰おうという配慮が感じられる。
新作「スーパーマリオ3Dランド」においても、一歩道を移動するというマリオの王道は崩していない。1度クリアしても何度も何度も遊べるように設計されている。スターを全て集めようとか、土管や雲の上のコースを歩いてみょうなど、消費者自身の難易度で遊べるようにプログラミングされいるのだ。中古ゲーム屋さんでマリオ作品の値段が下がらない理由もこの、万人が楽しく遊べるゲームバランスにあるのかもしれない。
ニンテンドーDS用の「New スーパーマリオブラザーズ」が国内販売数600万本を突破し、初代「スーパーマリオブラザーズ」に続く歴代2位の売り上げを記録したのも、初心者からお歳よりまで全年齢、全レベルのユーザーを意識した点が貢献していると思う。この絶妙なゲームバランス、絶妙な満足感を演出する事が、任天堂おける最大の課題であり「マリオシステム」の運命を握っているのかもしれない。
2.宮本茂という天才の行方
スティーブジョブズの死がアップルの株価を下げたように、宮本茂の死が任天堂の株価を下げる事になるのかもしれない。「宮本茂が死んだら任天堂は潰れるんじゃない?」そんな声も聞こえてくる。確かに、任天堂がこれまでに発売し大ヒットを記録した殆どの製品に宮本茂氏が関わっている。宮本さんは今年で60歳。普通の会社だったら定年の年齢だ。勿論、生きている限りゲーム開発に携わると思う。いゃそう願いたい。
・マリオシリーズ
・ゼルダシリーズ
・ドンキーコングシリーズ
・ピクミンシリーズ
・どうぶつの森シリーズ
など等、他にもWii用の「Wiiフィット」なども宮本さんの作品ですね。
任天堂における宮本さんの存在はアップルにおけるスティーブジョブズ的な存在なのかもしれない。勝手に宮本さん無き後の任天堂を想像してしまう。こんな事を書くと、宮本さんの師匠で「枯れた技術の水平思考」の生みの親である「横井軍平さん」の事を思い出してしまう。ゲームウォッチやゲームボーイの生みの親。3DSが生まれるずっと前に3Dに挑戦した人物だ。ファミコン以前、子ども用玩具を作っていた任天堂時代には横井軍平氏のアイディア一つで新製品が開発されていたらしい。今の宮本さんもその立場にいるのかもしれない。任天堂の次世代を担う人物がマリオを超えるヒット作品を生み出せるのか?そこに不安を思うユーザーも多いだろう。しかし、現在の任天堂にとって…
マリオシリーズをいかに多くの消費者に遊んでもらうか。そこに、任天堂の未来があるのかもしれない。