まず注意しておくと、この映画は「TSUTAYA」だけ!でしたレンタルできない。GEO派の人は一駅遠いツタヤに行ってレンタルしょう。一駅分の価値があるかどうか?、ここで断言する「借りて損はない」と…。新少林寺/SHAOLIN スペシャル・エディション(2枚組) [Blu-ray]posted with amazlet at 12.04.13Happinet(SB)(D) (2012-04-03)
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中華民国初期。辛亥革命によって中国全土では争いが絶えず、混沌に陥っていた。
そんな中、登封市にある少林寺の僧侶たちは、戦火に巻き込まれ負傷した人々を救助していた。
一方、粗暴で傲慢な将軍候杰(こう・けつ/アンディ・ラウ)は、少林寺の中で敵の将軍を無残に撃ち殺し、少林寺を愚弄して去っていく。
ある時、権力拡大の野望を抱き、義兄弟を暗殺しようと目論んだ候杰だったが、腹心の曹蛮(そう・ばん/ニコラス・ツェー)に裏切られ、愛する一人娘も失い、自身も懸賞金のかかったお尋ね者となってしまう。
全てを失った候杰は、かくまってもらった少林寺の厨房係、悟道(ごどう/ジャッキー・チェン)の家で髪を切り、出家することを決意。悟りを開いた候杰は僧侶を率い、戦火に追われる難民たちと少林寺を決死の思いで守るのだが。
「新少林寺」というタイトルだが、ジェット・リー出演の「少林寺」とはまった別のオリジナル作品だ。82年の同作以降初めて、少林寺より“正式な許可”を得て撮影された“少林寺映画”である。本作のストーリー1912年、辛亥革命で中国が内戦状態だった頃の話です。本作は簡単に説明すれば、中国版の「ラストサムライ」と言えば正解かもしれない。善悪、生と死という重くて骨太なテーマを中国の少林寺に当てている。人間の普遍的なテーマを扱っている。娯楽映画ではない、歴史映画でもない。冒頭、主人公は悪役として登場してくる。その時には、人を殺す事、自分の私利私欲に走る事を当たり前のように思っていた。
しかし、娘の死をきっかけに彼(候杰)は変わってゆく。
力の座でのしあがった候杰は、同じく力を維持するために力という信仰を信じていた。自分の力を脅かすものは排除する。兄であり敵の将軍であり誰であっても排除していた。実は、自分の兄は隠居して権限を候杰に譲るためだっただけなのだ。そんな折、腹心と信じていた部下に裏切られ、自分の愛する娘を殺されてしまう。少林寺に駆け込んで助けを求める。「なんとか助けてくれ!」「助からなかったらお前ら全員殺してやるからな!」と。愛する娘が死に、地位も名誉も失った。そんな時に出会ったのがジャッキーチェン演じる厨房係の悟道だった。設定としては重い映画だが、ジャッキーチェンが登場すると何故か、場が和む。ジャッキーの半分はやさしさで出来ているのかもしれない。(笑)
2メートル近くある大鍋を片手で振るジャッキー。それだけで映画ファンの心はぐっとくる。候杰が悟道の薦めてで饅頭をくだるシーンがある。最初は照れてなかなか素直に渡す事ができなかったが、次第に笑顔で渡す事ができるようになった。この場面を起点に、候杰の心の変化を感じる事ができるだろう。私利私欲にまみれていた頃から一転して、彼は少林寺の一員となる。彼は少林寺との出会いで人生を変える事がてきた。その一方で、候杰を裏切って地位と名誉を手に入れた男(曹蛮)には冒頭の候杰重ねてしまう。しかし、彼にも同情する一面はあると思う。人民に奴隷として財宝を採掘させる。秘密を隠すために奴隷を次々に殺害していく。そのお金で外国から最新の武器と弾薬を購入しょうとしている。地位と力こそが全て。物語冒頭の候杰の濃度を2倍にしたような格好だ。(森山直太朗に顔が似ているのよね。)
候杰と曹蛮の再会と戦い。奴隷として捕らえられてい人質の救出。ここから少林寺VS近代軍隊式の兵器との壮大な戦いが始まる。カンフーを駆使して次々に敵を倒していく少林寺の姿は見ていてカッコイイ。少林寺の面々に共通している事は、皆が、自分を犠牲にしてでも仲間を守りたいという心だろう。「殺生をお許しください」と倒れてゆく姿が感慨深い。近代兵器VS棒…とても勝てる相手ではない分かっている。次々と血を流して倒れてゆく少林寺たち。でも仲間のために戦うのだ。物語終盤、敵軍隊を率いてやってくる曹蛮。村人を高台に非難させ、少林寺のメンバーは曹蛮の軍隊と戦う。
軍隊が政治を支配していた頃の時代は全てそうだが、戦いにはそれなりの大義名分があるのだ。兵隊1人を攻める事はできない。兵隊だって自分の幸せを守るために戦っている。誰が敵で誰が味方なのか?その問題で1冊の本が書けるぐらい深い分野だ。
1912年という近代が舞台ということもあり、ライフルや大砲などの近代軍事兵器VSカンフーという構図も必見のポイント。3カ月の期間と2000万元(約2億4200万円)の予算を投じて製作された、本物の少林寺と瓜二つのオープンセットが、軍の砲撃で完全に爆破されてしまうクライマックスにも注目だ。最後の最後の「候杰VS曹蛮」の戦いは必見だ。王道映画のプロットを無視している点が興味深い。最後の最後、焼け野原となった少林寺の映像には戦争の儚さを問いかけているようだ。ジャッキー・チェン映画出演99作目という事で主演なのかと思っていたが、脇役に徹していて少し驚きました。しかし、ジャッキー武術とでも言うのか?そのコミカルな演技は和みますね。最後の最後で良い場面をかっさらっていきます。
新少林寺 SHAOLIN 特集: こんな“少林寺”見たことない!総製作費20億円、感動の“泣けるカンフー”超大作、ここに誕生! - 映画.com
この物語の最後を締めくくるのはジャッキーでもなく、主演のアンディ・ラウでもなく、エンディングテーマだと思った。人が生きるとはどういう事か、人生とは何のか、歌詞に込められた思いを汲み取ってほしい。この映画を通じて思った事は、戦争や争いというのは何も残さないし、何も得られないとい事だ。残るのは絶望感と孤独だけ。全ての争い事。全ての戦いに意味は無いんだ。僕は、この映画からそんな事を感じました。
新少林寺、「新」において、新たらしい映画だと思います。
■ひと言映画評
全員、坊主だから誰が誰やらわからんかった。でも、それはそれで良いよー!