今年の10月2日にある男が死んだ。彼の名前は「金子哲雄」。流通ジャーナリストという肩書きを持ち、ワイドショーやニュース番組などで経済や流通の話題をわかり易く伝えるお茶の間の人気者だった。そんな彼が生前にある本を書いていた。それは亡くなる2ヶ月前の8月。本当に苦しい状態での執筆だったと思う。彼が最後に残した遺品といっても過言ではありません。2012年に読んだ本の中で間違いなくベスト1位に挙げられる1冊です。本を読んで涙が出るなんて、本当に久々でした。数年前にランディ パウシュ氏の「最後の授業 ぼくの命があるうちに」という本が話題になりましたが、この本は今を生きる多くの人の支えとなり、多くの人の心に残ることでしょう。

●余命宣告。

彼の死に至らしめた病名は「肺カロチノイド」。癌の一種のようなものだそうです。症例としても稀で10万人に1人。金子さんの場合はかなり特殊で数千万人に1人の割合でかかるとても稀な病気だったそうです。症例はたった3例。酷い咳が出たことで病院に行ったところ、「末期の癌です」と診断されそうです。まだ40代。相当なショックと共に、最初は何とか完治しないのか?数々の大学病院を回ったそうです。時には病名を告げただけで「うちでは治療できません」と門前払いされることもあったそうです。病気を受け入れられる覚悟、金子さんは死を覚悟したといいます。

●天性の節約好き。

子ども時代の金子さんは、それこそスーパーの価格や値引き情報。女性週刊誌を見る事が大好きな少年だったそうです。お得情報を教える度に、母から貰う「えらい!」が嬉しくてたまらなった。いつの頃からか、「流通ジャーナリスト」として活躍したい経済や流通についてわかり易く教えたいという思いを抱くようになったそうです。流通ジャーナリストという職業は金子さんにとって、まさに子ども時代からの夢をかなえた形となります。

●僕の死に方 エンディングダイアリー500日 。

完治が難しい。いつ死んでもおかしくないと宣告されてからも精力的に仕事に取り組んでいた金子さんの姿があります。仕事があるから頑張れた。ある意味で仕事が自分の支えになっていたそうです。周りの人に心配をかけるから。という理由で一部の人を覗いて、テレビや雑誌、ラジオの関係者には一切、癌のことは告げなかった。病気で激痩せした自分を「ダイエットしたんだ」という理由で、何とかしのいでいたそうです。しかし、病状は悪化する一方。癌が体中に転移し、歩くこともトイレに行く事も困難になりつつありました。しかし、そんな状況でも、仕事に対する情熱は冷めなかった。自宅でも雑誌の原稿に赤ペンを入れたり、奥さんにスーパーの視察を頼んだり、仕事に対する熱意は変わらなかった。

いつ死んでもおかしくない。そんな状況を奥さんの稚子さんが献身的に支えていたそうです。病状が悪化する中、金子さんは自分の死を悟ったような行動を見せます。自分で葬式や遺言、遺産相続の手続きを終えました。東京タワーの近くにお墓も買いました。それまで、コージーコーナーのシュークリーム=金子哲雄さんだというイメージでしたが、東京タワーを見上げるたびに自分の事を思い出してほしいという願いからだったそうです。
正直、自分がなぜこんな目にあわなくちゃならないんだと、運命を呪ったことも何度かある。なんで、自分なんだ。「なんで、治らない病気にかかるんだよ。仕事も順調なのに、なんで、人生のチャンスをもらえないんだ。なんで、すぐ死んじゃうんだよ。なんで、死ななくちゃいけなんだ。俺。なんか悪いことしたか?ねえ、俺が悪いのか?」妻に何度もそう言ってみたが、でも、言葉に出すだけで虚しいことは、自分がいちばんよくわかっていた。
死ぬ直前、奥さんの作ったおでんが食べたいと言った金子さんは、こんな言葉を奥さんにかけている。
私が静岡出身なので、普段から真っ黒な汁の「静岡おでん」をよく作っていたのですが、金子が「稚ちゃんのおでんが食べたい」と言い出しました。でも急いで作ったので味が染みておらず、しかもふたりだけで食べているから、ずいぶん余ってしまいそうです。でも金子は、「これがあると安心だね。食べたい時に、いつでも食べられるから」と何度も繰り返し言います。「明日になれば、もっと味が染みておいしくなるね」と私が言うと、金子も「そうだね。明日も食べよう」と返してくれました。結局、これが、最後の食事らしい食事になりました。その晩、金子がふと言いました。「稚ちゃん、、、俺もう厳しいと思う。もうお別れだね。」
最後まで奥さんに対する愛情を忘れなかった金子さん。死んでも奥さんには迷惑をかけたくない。死んだ後も働いて暮らしてほしい。奥さんのために新しい賃貸マンションも探してそうです。それも金子さんらしい、お得なマンションを…。
野崎先生が到着し、金子の最後の仕事が始まりました。野崎先生は、うつぶせだった金子を仰向けにしてくださいました。本当に、安らかでした。「稚ちゃん、お疲れさま。ありがとう。でも、これからだね。」という声が聞こえたような気がしました。「僕はこれでいい。あとはよろしく!」今度は、そんな声まで聞こえてきました。「あとはよろしく!」のひと言で私を残すなんて、ほんとうにもう、でもお疲れさま。あとは任せて。私も返事を返しました。
最後の最後まで頑張った金子さん。苦しまずに安からに永眠されたそうです。

最後に、金子さんが自身のお葬式のために書いたメッセージを紹介してみょうと思います。
このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました。今回、41歳で、人生における早期リタイア制度を利用させて頂いたことに対して、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事等にて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。申し訳ございません。もちろん、早期リタイアとたからといって、ゆっくり休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことできる「魔法のドア」があると伺っております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。(中略)最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまの健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。急ぎ、書面にて御礼まで。
今、不景気で厳しい時代です。自分が本当にやりたい事が見つからないまま人生に悩む人も多いです。しかし、今回このような本を読んで「生きている事に価値がある。生きている事で前に進める。」という気持ちにさせてくれました。生きていればいい事がある。人生とは儚いものです。金子さんは、僕らの未来に希望の光を当てて天国に旅立ったのかもしれない。明日がある。少なくとも生きていればある。そんな事を感じました。

Amazonさんでは在庫切れのようなので、もしどうしてもすぐに読みたいという方はリアル書店で購入される事をお勧めします。