最近は、道州制や英語教育の面でシンガポールを奨励する機会が増えた。ただ多くの日本人にとって、シンガポールは何か?と問われれば、船の乗ったホテルがある。それぐらいの認識だろう。シンガポールという国家はその誕生自体に興味深い事実がある。誕生から200年、国家としては50年ほどの歴史しかない。国土は東京23区よりも少し広い程度、人口は横浜市と同じ位だと言うのだから、その大きさが伺える。

200年前までジャングルだった無人島がいかに独立国家となったのか?
その背景にはラッフルズによるシンガポールの植民地化に始まる。貿易の拠点としての存在。シンガポールはマレー人華僑なと複数の民族からなる国家だった。一時はマレーシアと連邦国家を作っていた時期もあるが、その他民族性(つまり、マレーシアという国が他民族を嫌った)故に、問題が耐えなかった。そんな中でシンガポールを独立国家にしたのが、リー・クアンユーという人物だ。いゃシンガポールを作った男といっても間違いではい。

シンガポールと聞くと自由な国家、というイメージを抱くが、実は国家は人民行動党一党支配であった。国家がテレビ・新聞を支配し、海外メディアさえも自由に操作する。シンガポールは民主主義なので一応の選挙はあるが、2000年代に入った今ですら過半数を大きく越える議席(正確に言うと、ほぼ全ての議席)を獲得しているのだ。その裏では色々な工作(独裁的)があり、野党の候補者を落選させる事だってある。クリーンで税金が安いというイメージがある一方で、国家としては絶対的な信任があってこそ成り立っている。最近、ではネットの普及や海外移民政策の裏返しもあり、野党が勢いを強めているようだ。

シンガポールにとって最も大切なのは「人材」だと言う。小学生の段階で自分の進路が決まり、優秀な子供は国家のお金で海外の有名な大学に留学しているそう。そして、その人材の多くが官僚として働く事になる。人口も国土も小さいシンガポールにとって「人材」こそ生命線だとも言える。

シンガポールにとって大きなターニングポイントになったのは、建国の父であるリー・クアンユー氏の引退だろう。シンガポールというのは正確に言えば、国家ではなく「シンガポール株式会社」という形を取る。圧倒的な権力者が国家を運営する。会社に例えるなら社長だ。多くの会社が社長の引退、カリスマの引退と共に衰退すると同じように、持続的な成長の限界、国民から募る不満があり、国家として岐路に立たされている。

たった50年という国家の中で、急成長を遂げたシンガポール。その歴史は面白くもあり、日本、特に道州制という形で見た場合の参考例になるだろう。シンガポールの歴史が250ページにぎゅぎゅっと凝縮されている。単純に物語としても面白いです。