改めて読み返してみました。Amazonのレビューを読むと「歴史の教科書かっ!」という指摘もありますが、たぶん意図として世界の歴史を踏まえた上で、インターネットの進化によるウチとソトの崩壊。そして、再構築が理解できる構成になっているのだと思います。ボクは、この構成も納得できます。勿論、前半をすっ飛ばして後半だけ読んでも内容は理解できます。

で、佐々木俊尚さんが言いたい事は、たぶん、ネットの進化によって旧来の国家や支配構造は崩壊しつついあるという事だと思います。それは簡単に要約すれば昔は「ウチ」と「ソト」という構図が明確であった。ウチの者がソトの者を支配する。ウチの者が富める社会だった。しかし、それは崩壊し、レイヤー。つまり、新しい層になりつつあるという指摘です。その上で新しい場が次々に誕生している。まず崩壊したのが旧来の「音楽産業」でした。今まではレーベルが人材を発掘し、プロデュースするという構図が当たり前でしたが、今ではアップルのiTunesを使えば誰もが楽曲を配信する環境が整っていった。「横にスライスされていく社会」という名前が付いていますが、レイヤー化する時代に上も下も無い。例えるなら、化粧箱に入ったケーキではなく、縦に切られているわけでもない。化粧箱に入ってない。
これは、オープンサンドみたいなイメージです。パンの両側をはさむのではなく、1枚のパンの上に具をどんどん重ねていっただけの開放的なサンドイッチです。白い皿があり、軽く焼いた1枚の食パンが置かれます。その上にレタスが載り、キュウリが載り、チーズが載り、ハムが載り、くるくるっとマヨネーズをかけてできあがり。さあ召し上がれ。

白い皿はインターネット。1枚のパンはアイチューンズです。キュウリやチーズやハムの具材が、ミュージシャンやディレクターやスマートフォン。最後に軽くかけられたマヨネーズは、音楽についての友人たちとの雑談。サンドイッチの本質じゃないけど、これがないと美味しくない。「最近どんな曲がいい?」「どんなの聴いてる?」みたいな情報交換は、音楽を楽しむためにとても大切ですね。

そしてできあがったサンドイッチという全体が、素敵な楽曲。化粧箱のケーキは、縦に切り分けられて箱に収まってました。箱から外に出るのはひと仕事で、「箱の中にいる」と「箱の外にいる」はまったく違います。ウチとソトが厳密に区別されていたのです。でもオープンサンドイッチには、ウチとソトの区別がありません。横に広がろうと思えば、無限に大きな、地平線にまで1枚のパンが広がっているオープンサンドイッチだってつくれます。オープンサンドイッチの世界で「違い」を生み出すのは、化粧箱のウチとソトじゃなくて、パンかレタスかハムかチーズかという違い。つまり重なっている「層」の違いなのです。
本書は「レイヤーでつながろう。(場)と共犯し、(場)を利用し、(場)に利用されよう。そして、(場)を流れていこう。大地の上を動き続けよう」という強い言葉で締めくくられている。世界が変われば「優秀な人」や「ダメな人」「マイノリティ」「マジョリティ」の定義もがらりと変わる。支配されける側とそでない側も変わるけれども、もしかするとレイヤーや場の中で「新しく秩序」みたいな物が生まれるのかもしれません。