宮崎駿監督作品として、空前の大ヒットを記録した映画「風立ちぬ」。興行収入100億円を突破し、宮崎駿最後の監督作品としても話題を集めました。既に多くの方が風立ちぬの考察を行ってますが、観賞後に手に取った岡田斗司夫さんの本で、岡田さんが「風立ちぬ」の面白い考察をしてました。観賞後に見ると、なるほどと膝を打つ箇所もありました。今回は、そんな岡田さんの風立ちぬ評を紹介してようと思います。ちなみに、岡田さんは、「風立ちぬ」を100点満点で98点という評価をしています。

●二郎が初めて恋いをしたのは、菜穂子ではなかった?

映画上で次郎が結婚するのは、予告編で分かるように菜穂子ですが、実は次郎が最初に恋いをしたのは菜穂子ではないと、岡田さんは言います。二郎が初めて恋いをしたのは映画冒頭の関東大震災のシーンで、怪我を手当した相手で、里見家の女中であるお絹だったと言います。本作で、震災後に里見家に行ったという話が出来ますが、あれは菜穂子に会いに行ったのではなく、お絹に会いにいったと言います。二郎が震災の時に渡したシャツと計算尺のシーンで、二郎の頭の中にお絹の姿が映った事からも、初恋の相手は菜穂子ではないようです。

●菜穂子の愛は計算?

一見、純粋に二郎を愛しているように見える菜穂子ですが、それは計算だったのではないか?というのが岡田さんの説。例えば、菜穂子が丘で絵を描いているシーン。初日に二郎がパラソルを拾うシーン。そして、再開した日は丘で絵を描いていたのに、次の日は泉に伸びる入り口にイーゼルと絵。そして、同じパラソルを置いている。ここで岡田さんは、同じ絵を描くなら、同じ場所に置くのが普通。つまり、菜穂子は意図的に「私はここにいるのよ」というメッセージを送っているというのです。

●ドイツ人はスパイだったのか、、。

これは映画評論家の町山さんは、あのドイツ人はゾルゲ。つまり、異国のスパイだった言っています。例えば、劇中でドイツ人は「ああドイツの煙草かこれで最後」的な事を言うわけですが、違うシーンでは同じタバコを吸っているので、物資の供給ルートがある。つまり、スパイという事です。で、このドイツ人は「ここは魔の山」という言葉を残すわけですが、魔の山とは戦前の教養人の殆どが読んでいた本だそうで、そのテーマが雪山のサナトリウム。つまり、菜穂子が誰の見舞いもなく孤独に死んで行く事を暗示しているのではないか?という説。

●ピラミットのある世界。

これは本作でも結構不可解な言葉です。カプローニが「ピラミットのある世界と無い世界」という事を言います。つまり、ピラミットとは格差のある世界。劇中で「取り付け金具一つでその娘の家が食って行ける」「貧乏な子供にシベリアを食べさせられる」といった言葉が出来ます。カプロー二はそれを肯定している。対して、二郎は特にコメントをしませんが、おそらく二郎は奇麗な物にしか興味が無い。菜穂子と結婚した理由も菜穂子の美しさに惹かれたといいます。補足情報ですが、宮崎駿の愛読紙は新聞赤旗だそうですがそういった背景もあるのでしょうかと。

●まとめ。

一見すると、単純な恋愛ものではなくその時代背景を巧みに切り取った名作ですよね。岡田さんの本も含めて、改めて見返してみたい作品です。