ひっさびさのコラムです。ボクは基本的にドラえもんと名探偵コナンが大好きです。このブログでも映画評(※現時点で実験中)で何度か紹介してますけど、新作が出る度に映画館やTSUTAYAに行ったり、レンタル半額だと旧作をレンタルしてきたりします。ただ最近のコナンそしてドラえもんに関してはファンとしては少し不可解な部分があります。それはが本記事における「商業主義」についてです。



つまり、作品を作る事に主体があるのではなく、映画で安定的に稼ぐ事に目的を持っている。勿論、作っている人は真剣ですし手を抜いているわけではない事は前もって言っておきます。ただ、あまりに産業として巨大化してしまったために、作品自体が面白さを欠いている。例えば、ドラえもんの劇場版で言う新作が当たらないから旧作のリメイクをする。最新作で言うと「新・のび太の大魔境」ですか。それは悪い事ではない。20年以上前の作品ですから、今のちびっ子が始めて見る場合も多いですし、お父さんやお母さんが懐かしむのもいいでしょう。ただ、それでいいのかアニメ界?という事です。



●名探偵コナンはもはやダイハード化した。



これは映画評で散々言ってますけども、最近のコナンはダイハードです。初期の頃、例えば「時計仕掛けの摩天楼」は謎解き要素が満載だった。対して、11人目のストライカーや沈黙の15分は作品の殆どがアクションでもはやミステリーでもサスペンスでもありません。では何故、そうなったのか?というと、昔のアニメが作品のファン向けに作っていたのに対して、今のアニメは一般人が見る。例えば、春休みやGWに家族で映画館に行って楽しむための作品なわけです。これも映画評でいいましたけど、沈黙の15分や11人目のストライカーにAmazonで星5つの評価をしている人は名探偵コナンに愛が無いです。



安定的に稼ぐためには、見せ場を作って飽きさせない。これが大切なわけです。

となると、勝負は出来なくなる。例えば、初期のコナン映画にあった連続殺人で血がぶぁーーっと出る演出はNGになりつつあるわけです。クレヨンしんちゃんにおけるケツだけ星人もNGなわけです。



●作品に命を込めるより宣伝に命を込める。



これが最近のアニメ劇場版の特徴です。これはスタジオジブリも例外ではないです。例えば、最近では人気アニメの劇場版には人気俳優やタレントを起用する事が多くなりました。それが芸能ニュースで取り上げられたりしますが、はっきり言ってタレント声優はクソですよ。当時なら良いですが、1年後、2年後に見たら寒すぎます。漆黒のチェイサーのDAIGOであったり沈黙の15分での渡部陽一なんて今見たら、ちょっとした「あの人は今」ですよ。ドラえもんも魔界大冒険における 相武紗季であったり、緑の巨人伝における堀北真希だったりね。まだ、声優の声は娼婦(らしい、、)といっている宮崎駿監督の方がまだ正しい。ジブリの鈴木さんの宣伝はまだ許せる範囲です。



結局、中身の完成度を高めるためではなく、いから興行を伸ばせるかのか?というのがメインになりつつあると思います。



●結果、ファンは離れて衰退していく。



というのが結論です。結局、熱意の無い人ばかりを相手にして、コアなファンを軽視していくと、コンテンツとして衰退していきますよね。宮崎吾朗の作品は酷いって言っているファンも多いですけど、そうやって宣伝ばかりに力を入れて行くと、本当にファンが離れて行く。ただこれが難しい話で、コアであればコアであるほど興行は伸びない。80年代で言う宮崎駿「ルパン三世カリオストロの城」ですね。分かり易いプロット。そして、派手なアクション。泣けるシーン。これがヒットするアニメの三拍子なわけですが、ボクは2回に1回で良いから本気の作品が見てみたいと思います。



新世紀エヴァンゲリオンが夕方に放送されていた時代が懐かしいです。



ただやっぱり、今の作品が一番面白よねというのが理想ですよね。



名探偵コナンでは、「時計仕掛けの摩天楼。」

クレヨンしんちゃんでは「ヘンダーランド。」



が名作です。異論は認めますよ。

コンテンツを面白くするのは金であって、つまらなくするのも金はわけです。