これは我々が薄々とは感じていた事を明確に文章化した本です。確実に買いの1冊です。一昔前、それこそ蒸気機関が発明された頃は科学と我々は友達だった。元々蒸気機関が開発されるきっかけは、炭坑内で発生する井戸水をくみ上げるためだったと聞いています。テレビが発明された時も、フォードが大量生産で車社会を実現した時もテクノロジーと我々は友達だった。しかし、ムーアの法則によってコンピューターが爆発的な勢いで成長し、IBMのワトソンのように人口知能は加速度的に進化している。そして、ついに訪れるのが機械が我々の仕事を奪う?という事です。

そんな事あるわけないじゃないか!と笑っている人はこの先の未来を輝かしい未来にする事はできない。しかし足下を見れば最新鋭の工場で作業の大半を機械が行っている。その最たる例がテスラの工場だったりするけど、ニュースでよく見る車のロボット溶接の光景、それは一昔前は人間の仕事だった。本書の冒頭で面白いのは、高技術の仕事も安泰ではない事を指摘している点です。

逆に、ハウスキーピングのような仕事はロボットにすぐには代替されないけれど、レントゲンの解析など法則性のある作業はむしろ機械によって代替されるのではないか?と綴ってあるわけです。

Amazonで倉庫の作業をロボット化しようと試みているように、近い未来は機械が雇用をどんどん奪っていく。それによって恩恵を受けるのはサービス受給者ではなく、株主と経営陣だけ。自動運転が実用化されれば、タクシーの運転手の職でさえ代替される。最近ではコンピューターと現役棋士が戦った電脳戦が話題になったけれど、コンピューターの進化は人間を越え始めている。

近い将来には生産過程が完全に機械化されれば、中国で生産する必要はなく、国内の土地の安い場所に工場を生産すればいい。本書では来る機械文明の到来を受けて、税収はどうするのか?という点について触れられている。本書によれば、人から取るのでなく、工場で生産された物の利益から税収を取るのが理想なのでは?と綴ってあるけれど、その辺はまだ未知の話かもしれない。

究極的な機械化の先端を走るのはGoogleでありFacebookなのかもしれない。今は自分でキーワードを打っているけれど、将来的には人の行動を予想して検索結果を表示してくれるようになる。そういった時代には、ますます自分で考えて自分で行動する力が求められるのかもしれない。全員が全員が楽しい時代は終わった。これからは努力しない人間は人生を楽しめなくなるのでないか?とボクは本書を読んで思ったわけです。

これはあまり注目されてないけど、これは2015年でも年末のTOP10に入るんじゃないかな?